[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。



「結構冷えるな…」
呟きと共に漏れた息は、風呂上りで温まった体のせいかほんのり白く染まった。
お風呂場での一騒動で高まってしまった鼓動と、異様なまでの熱りを冷ますため、凪月は家を出ていた。
薄手の浴衣に夕方美鶴に貰ったショールをはおって、月明かりだけを頼りに歩く。
なんとなく気恥ずかしくて、月を見上げることはなかったが、その光で伸びる自分の影を見つめる心は落ち着いていた。
会ったばかりの自分に屈託なく笑いかける珠紀。そしてその守護者たち。
そして、真弘。
驚くほどのスピードで、自分の中に入り込んできた少年。
どうしてなのかはわからないけれど、いつも優しく寄り添ってくれていた。
それに少し戸惑ったりもあった。でもすごく救われて。
「ここで、頑張ってみるよ。みんな…」
護れなかったことを後悔していないわけない。蟠らずにいることも。
けれど自分を救ってくれて、大変な状況の中で自分を振り返ってくれる人たちを、今度こそ護りたい。
何より、真弘は命をかけて、その心が折れそうになっても使命を果たそうともがいている。
「あなたが護りたいもの…私も、護ってみせるよ」
再確認するように呟く。
淡い願いなのかもしれない。それでもやらなければならないことはそこにあるのだ。

「…?」
暫く歩いていると、凪月は大きな気配が動くのを感じた。
それは卓が入ってはいけないと言っていた森の中から発せられている。
「何か、いる…?」
背筋に緊張が走るのがわかる。きっと急いで宇賀谷邸に戻って、真弘か拓磨を呼んだ方がいいのだろう。
しかし凪月の直感は「それでは間に合わないかもしれない」と体中に告げていた。
「…炎(えん)」
凪月は掌にぼんやりと青白い狐火が現れたのを確認し、意を決して森の中へ入って行く。
「玉依姫に仕えしカミたち。貴方たちの姫を護るために、万が一の時はどうか力を貸して」
祈るように呟くと、胸元の『三魂』がぼんやりと光った。
ありがとう、と心の中で礼を言い、凪月は森の深くへと駆け出した。




「真弘先輩!凪月さんを知らない?!」
「おわあっ!!!」
言うと同時に珠紀が戸を開けると、中にはパンツ一枚の真弘が服を着ようとしているところだった。
「きゃあああああああああ!なんでパンツなんですかっ!もう!!」
みるみる顔を真っ赤にした珠紀はそのままスパンッと戸を叩き締める。
「風呂上がりだから涼んでたんだよ!ところでなんだよ、夜這いか?」
手早く服を着た真弘が戸を開けると、両手で顔を覆っていた珠紀がぎろりと恨めしそうな目を向けた。
「違います。だから、凪月さんを知りませんか?」
凪月?!し、知らないぞ!俺は何もしてない!」
「…何かしたんですか、先輩?」
あまりにも大きな声で否定する真弘に、隣の戸が開いて拓磨がしげしげとその様子を見つめる。
「違うぞ?!あれは…えーと、あれはだなぁ!」
凪月さん、いないのか?」
「うん、部屋にもいないの。美鶴ちゃんもお風呂の後着替えを渡してから見てないって」
「聞けよ!いや!聞かなくていい!」
ひとり慌て続ける真弘に拓磨が冷たい視線を向ける。
「あー…真弘先輩、その話は後で聞きますから…」
「そうですよ先輩!先輩は凪月さんが心配じゃないんですか?」
「いないったって、どこに行くんだよ?トイレにでも行ってんじゃねぇのか?」
うーん…と三人で考え込んでいると、ぱたぱたと美鶴が息を切らして駆けてきた。
「美鶴ちゃん?どうしたの?」
「あ、あの!凪月様用にとご用意しておいた草履が無くなっています」
「外に出たってことか?!」
「今夜はカミたちが異様に騒いでるんだぞ?!何やってんだアイツ…!」
「拓磨!真弘先輩!」
珠紀の声に拓磨と真弘は顔を見合わせ、重々しく頷いて玄関へと向かう。
「まだそう遠くへは行ってないはずっスよね」
「おう。見回りがてら、ちゃちゃっと見つけて説教してやる。行くぞ!」
外に出ると二人は、真弘の風の後押しで飛ぶように走り出した。





「ここって…?」
暫く森を走っていた凪月は、急に開けた場所に出た。
しんとしていて、なんだか異様なまでに静かな場所だ。
「宝具の、封印されているとこ…かな」
なんとなくそんな風に感じて、ゆっくり歩を進める。森の中と違って、ここはだいぶ清浄な空気が流れている。多分予想は当たっているのだろう。
そして、凪月はその中にソレを見つけた。
ソレは開けたこの場所の奥に立っていて、禍々しいほどの気配を放っていた。
(宝具の玉依姫の気配にカバーされて、気付かなかった…)
脈が速くなる。こんなところに普通の人間が入り込めるはずはない。おまけに守護者でもないとすれば、きっと…
「…誰だ」
凪月に気付いたソレが、ゆっくりと振り返り問うてくる。
ソレは男だった。白い髪に、真っ黒な服を着て、その左目には大きな眼帯が付けられていた。
「…こんなところで、何をしているの。用がないのなら、立ち去りなさい」
出来得る限り気丈に言い放つ。自分を叱咤するよう代わりに拳を握り締めた。じわりと汗が滲んでいるのがわかる。
「シビルではない。しかし似た匂いがする」
表情一つ変えないその男はゆっくりとこちらへ歩を向ける。
「…お前からは、カラスと同じ匂いもする」
「シビル?カラス?…何者なの、あなた」
じりじりと間合いを詰めるように近付く男に、凪月は確信する。
こいつは、ロゴスの者だ。
「名前を聞いたら、教えてくれるのかしら。法具を奪いに来たの?」
「…ツヴァイ」
ツヴァイと名乗った男がにやりと笑うと、その手に大きな鎌が現れた。
「計画の完遂に、支障が出る。…喰らってしまおう」
言うなり男は一瞬にして間合いを詰めてくる。
「っ、翔(しょう)!」
凪月も咄嗟に唱え、左に飛んでその一撃を避けた。
「何が目的なの?!私を殺したいの?」
「お前からはカラスと同じ匂いがする。多少薄れてはいるが、死の匂いだ。今までに喰ったことのない魂を、お前は持っている」
「死の…匂い?」
生贄になるための存在だったからだろうか。
凪月が呆気に取られていると、ツヴァイは再びその鎌を振るってくる。
「颯!!」
風の盾が凪月の前に現れ、ツヴァイの刃を弾き返す。
「お前は生きているのに、死に囚われている。カラスと同じ匂いが、お前からはする」
「…何を言っているの?あなた、何を知っているの?!」
ツヴァイの言葉の意味がわからず、凪月は叫びながら虚ろな目をした死神を睨みつける。
「どちらも、美味そうな匂いをしている。カラスよりお前の方が、喰いやすそうだ」
ツヴァイは凪月の風の盾を力任せに押し込んでくる。霊力を思いっきり注ぎこんではいるが、神降ろしをしたこともあり凪月の力はいつもより格段弱まっている。
「…帰りなさい。約束を守るため、今ここで、死ぬわけにはいかないのよ!私は珠紀を護らなくちゃいけないの!」
叫ぶようにいっそう霊力を注ぎ込んだところで、バチンと音を立てて凪月の体が弾き飛んだ。
地面に叩きつけられる直前、その体はふわりと何かに支えられる。
驚きで固く閉じていた目をゆっくり開けると、そこには息を切らした拓磨の姿が映った。
「たくまく…」
「なんて無茶をしてる、死ぬ気か!」
焦りからだろうか、いつもよりも荒い語気で敬語も忘れて怒鳴りつける拓磨。その尋常じゃない様子に思わず身が強張る。
「ごめん、なさい…」
「いいじゃねぇか拓磨ぁ。凪月、コイツをあそこまで防げりゃ上等だ。さすが俺の見込んだ女だけはあるぜ」
声のした方を見れば、いつのまにか真弘が凪月たちを庇うようにツヴァイと対峙していた。
「カラス…来たか」
「来たか、じゃねぇぞ死神野郎。俺の女に手ぇ出そうとしやがった罪は重いぜ?!」
真弘の腕には見る見るうちに風が集まり、鋭い刃に変わっていく。
ヤタガラスの力を使いこなしている真弘の技に、そう使うのか、とぼんやりした頭で思っていた凪月は、それよりも重大なことに気付く。

真弘のことを、カラスと呼んだ…?

大きな太刀音がして我に返る。
見ればツヴァイと真弘が目に見えないような速さで交えていた。
「だめ…」
今はまだその時じゃない。凪月はそう思った。少なくとも、ツヴァイは宝具を奪いに来たわけでは無いようだ。ならば体力を削って当たる必要はない、この場は引かせればいい。
「真弘!拓磨君!離れて!出来るだけ遠く!」
叫ぶなり凪月は拓磨の腕から抜け出す。ありったけの霊力を『赫の破片』に込めながら。
「早く!!」
二度目の語気に納得したのか、拓磨も、ツヴァイと交えていた真弘も隙を見て森へ引いた。
凪月はそのままのスピードで、引いた真弘をその隻眼で追っていたツヴァイの左側から走り寄り叫ぶ。
「唸れえっ!」
瞬間、ツヴァイに押し当てた凪月の右手から紅い閃光が漏れ、両者の体を激しく吹き飛ばした。
しかし凪月はその勢いにも飲まれずひらりと着地して見せる。
「去りなさい!次はこの程度では済まさないわ!」
ゆっくりと起き上がるツヴァイに言い放つと、また右手の『赫の破片』に霊力を込め始める。
「新たな、シビル…カラスもお前も、近いうちに喰ってやる」
立ち上がったツヴァイはにやりと口元を歪ませると、静かに闇の中に消えていった。
暫く立ち尽くしたままツヴァイの消えた闇を見つめていた凪月は、その存在が完全に去ったことを認めるとカクンとくずおれた。
凪月!」
凪月さん!」
同時に、森へ退避させていた真弘と拓磨が駆け寄る。
真弘が抱き起こすと、凪月は荒い息の中でふわりと笑って見せた。
「あんなのと、戦ってたんだね。みんな」
ぽつりと漏らした凪月の右手は、ガクガクと震えていた。
「バカ野郎!なんて無茶しやがる!アイツは女でも間違いなく容赦なしに殺すぞ!?」
「なんであんなことを…俺たちに任せておけばよかったんだ」
両側から容赦なく浴びせられる罵倒に、凪月は苦笑した。
「宝具を奪いに来たわけじゃなかったみたいだったし…引かせる方が体力の温存になる。それが守護者の力を使ったものじゃなかったら、尚のこと良い。違う?」
拓磨と真弘の顔を順番に見て、凪月はニッと笑う。まるで悪戯っ子のように。
「だからってお前…」
「全員無事だったんだし、結果オーライってことにしない?真弘。ちょっと、疲れちゃったの」
続きそうな真弘の説教を、その口を指で押さえて遮った。
「お説教なら後でちゃんと聞くから、ね?」
柔らかく微笑むと、真弘も拓磨もしぶしぶ頷いた。ほんのり頬を赤く染めながら。
凪月はそれを見ると、重たい体と軋むような痛みの走る右腕を引き摺るようにして無理矢理歩き始める。
後ろから、はぁ、と溜息が聞こえて、ズカズカと森の中なのに盛大な足音が背後に迫ってきた。
「おりゃ」
「ぅわっ?!」
真後ろで気配が止まったかと思うと、いきなり膝を手刀で折られ、そのまま担ぎ上げられた。
「真弘?!」
「見てらんねー!なっさけねぇの、全身ガタガタじゃねぇか!無茶のしすぎなんだよ!」
「そうっスよ、こういうときは甘えておいた方がいいス」
「あ、敬語に戻ってる」
真弘に抱えられながらくすくすと笑うと、拓磨は驚いたような表情を見せた後、バツが悪そうに頭を掻いた。
「…俺、敬語じゃなくなってました?」
「うん、普通だったよ?普段もそれでいいのに」
「だーっ、くっちゃべってないで帰るぞ!完璧に湯冷めした!」
腕の中と隣で繰り広げられる談笑に痺れを切らした真弘が歩き出す。その足取りはなんだか怒っているようなものだった。
「…真弘?なんか、怒ってない?」
「怒ってねー。お前の無茶には怒ってるけどな」
「なんか、急に機嫌が…拓磨君と話してたから?」
凪月がぼそりと呟くと、真弘はギン!と腕の中の凪月を睨んだ。
「怒ってねーし、お前が誰と仲良くしてようと俺には関係ない!」
それはそうなのだが、と、凪月はその迫力に身を強張らせ、俯く。
「そこまで、言わなくても」
必死にそれだけを絞り出す。気を抜けば、何故だか泣いてしまいそうだった。
「い、いや、違う!そういう意味じゃ…」
「キスまでしたくせに」
慌てふためく真弘にしか聞こえないくらい僅かな声で呟いて、凪月はぎゅっと掌を握った。
真弘はその声が震えていたのに気付き、凪月を抱えていた手に力を込める。
「…悪かった。そういう意味で言ったんじゃない」
俯く凪月に囁くような声で言うと、凪月は急にがばっとその身を上げて、後ろの方で居心地の悪そうにしていた拓磨に叫んだ。
「もーーーいい!拓磨君!拓磨!おんぶして!だっこでもいいから!」
「どうしたんスか急に。桃色の空気はどこへ行ったんスか」
「いいから早く!申し訳ないけどおんぶしてください!」
「なんでそうなるんだよっ」

結局、小さくても男の子な真弘の腕力にぎゅうぎゅうに抑えつけられ、凪月はそのまま真弘の腕の中で帰宅した。

「ごめんねみんな。ちょっと散歩に出ただけだったんだけど、とんだことになっちゃって」
「ううん、無事ならいいよ。本当に安心したー」
「今度からは、私にちゃんと託けてから外出してくださいね?」
布団に寝かされた凪月は、部屋に集まってきた珠紀と美鶴に軽いお説教をくらった。
拓磨と珠紀、美鶴は疲れているだろうからと早々に部屋を去ったのだが、真弘だけはそこに留まっていた。
「どうしたの?真弘。休まないの?」
問いかけても凪月の顔を見つめるばかりで何の反応もない。
どうしたものかと困惑していると、漸く真弘が口を開いた。
「お前、誰かに恋したこと、あるか」
あまりに唐突過ぎる質問に思わず聞き返そうとしたが、真弘の眼差しは真剣そのものだった。
「多分、ないかな…私には、必要のないことだったから」
「今は?」
さらに冷静な声で問われ、真弘を見つめ返すと、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「だったってことは、今は必要あることなんだろ」
「ごめん、話の意図がわからないよ。どういうこと?」
「俺のことが、好きかって聞いてんだ」
真弘の口から紡がれた言葉に凪月の鼓動は速くなる。
真弘がどうして今、そんなことを聞くのかわからなかった。その、悲しげな眼差しの意味も。
「俺は多分、お前に惚れてる。女は珠紀以外護らないって思ってたけど、お前のことは何があっても護りたいと思う」
そう言って凪月の頬を優しく撫ぜる。慈しむようなその動作は、凪月の鼓動を益々速くさせた。
「会って、間もないけどな。本気で、お前を愛しく思ってるよ。…だから、頼みがある」
不意に真弘の目が一層悲しみを帯び、その手は凪月の頬を覆う形で止まる。
凪月の頭に、ツヴァイの言葉が蘇った。
―カラスと同じ、死の匂いがする―
真弘が何を言うのかはおおよそ見当がついた。
凪月の目頭にじわりと熱いものが溜まっていく。
それを見て真弘は一瞬切なそうに顔を顰めたが、すぐに微笑みを浮かべた。悲しく歪んだ笑顔を。
「俺を、好きになるな。俺には絶対に、惚れるな」
絞り出すような声で言うと、真弘は凪月の頭に口づけを落として立ち上がった。
「護ってやる。俺が傍にいる間は、珠紀もお前も…絶対護ってやるから」
凪月の目から、静かに涙が零れた。ゆっくりと、真弘が部屋から出て行く。
障子が閉まる音を聞いてから、凪月は嗚咽を漏らして泣いた。
気付かなかった。
いつの間にかこんなに、真弘を想っていたのも。
真弘のいつかの揺れていた瞳のわけも。
どうしてもっと早く気付けなかったんだろう。
そんな後悔ばかりが凪月の胸を軋ませて、後から後から涙が溢れる。
再び、ツヴァイの言葉が頭に響く。
真弘と同じ匂い、じゃわかりっこない。そうではなく、「真弘が」自分と同じ匂いということだ。
遠からず、死ぬ運命ということ。
匂いが薄れていると言ったのは、自分が死ぬ運命から逃がされたから。
自分のことを好きになるなという真弘の言葉が、痛いくらいに胸に突き刺さる。
疲れ果て眠りにつくまで、凪月は泣き続けた。





次へ










topへ戻る