目を覚ましたは、ふらりふらりとよろめきながら廊下を歩く。
(ここは、どこなんだろう…私…?)
体の節々が、軋むように痛む。
(なんだろう…上手く思い出せない…)
自由の利かない四肢に自らの霊力をひたすらに注ぎ込みながら歩いていると、光の漏れる部屋があった。
(もう少し、もう少し…)
重たい体に鞭打って、は壁に凭れながら進む。
すると。

「だぁから、何遍も言ってんじゃねーか!それ以外は俺にはわかんねぇよ!」

突然、目指していた部屋から聞こえた怒鳴り声。
は反射的にびくんと体を強張らせた。
(あ、まずい、倒れ…)
驚いた拍子に霊力の放出が途切れ、それによって保たれていたの体のバランスはみるみるうちに崩れていく。
「ぁあっ」
は急いで力を注ぎなおそうとしたが、間に合うはずもなく、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
「いたた…どうしちゃったの、私の体…」
誰にでもなく呟くと、もう目の前にあった目的地の戸が勢いよく開く。
「なんだ?!」
かろうじて頭を上げたを見下ろす形で、長身の男の子が立っていた。
赤い髪が、部屋から漏れる光に当たって、綺麗だなぁと、はぼんやり思っていた。
「え…と、」
暫く呆然とを見ていた少年は、口の中でもごもごと何か言っている。
(よくよく考えたら、綺麗とか思ってる場合じゃないし)
自分の状況を思い出し、意を決しては口を開いた。
「…あの…」
「へっ?!あ、え、どうした?!」
話しかけられると思っていなかったのか、赤髪の少年は妙な声を上げている。
「申し訳ないんですが、起こしていただけるとありがたいです…」
控え目に言うと、少年は「すまん」と言ってを支え起こしてくれた。
「助かりました。ありがとう」
は少年に微笑みかけると、再び足に霊力を注ぎ込み、真っ直ぐ立って見せた。
その様子を見ていた少年は少し目を見張ったが、足にのみその力が集中しているのを見て取ると、今度は少し表情を固くして言った。
「今、あんたについて話してたところだ。よかったら、話を」
「おぉっ?!目ぇ覚めたか?!」
少年が真剣な口調で切り出した話の最後は、違う誰かの声に遮られてしまった。
見ると部屋の中から、少し背の低めな少年と、可愛らしい少女がこちらを見ている。
「もー、拓磨!倒れて気を失ってた女の子を廊下に立たせたままにするなんて、何考えてるのよ!」
そういうと、少女はつかつかとたちの方へ歩いてきて、の手を取った。
「さぁ、部屋の中に行こう?向こうはあったかいから!」
そういうと少女は笑って、の手を引いて歩きだす。
しかしその勢いがあまりに急だったため、力を送りきっていなかったは、また勢いよく前に突っ伏した。






「お前、人のこと言えるかよ…」
「うぅ、ごめんねぇ」
「大丈夫だよ?怪我とかしたわけじゃないんだし…」
あの後、結局見かねた小さな方の男の子に助けられ、はそのまま部屋へと運ばれた。
うなだれる女の子を、赤い髪の男の子が自分を棚に上げて責め立てている。
「で、名前はなんてーんだ?俺は鴉取真弘」
が二人のやり取りをクスクス笑いながら見ていると、不意に横から声がかかった。
「あっ、真弘先輩ずるい!私、春日珠紀!こっちの無愛想なのが鬼崎拓磨。よろしくね?」
「無愛想ってなんだ、無愛想って」
「仏頂面ひっさげて、無愛想じゃないなんて言わせないわよ」
夫婦漫才のような掛け合いに、は思わず笑ってしまいそうになるのを必死に堪えて、なんとか言葉を絞り出す。
と言います。よろしく、珠紀ちゃん、鬼崎くん、鴉取…せんぱい?」
小首を傾げながらは真弘を見る。
その視界の端で、珠紀と拓磨が慌てる様子が見えたが、は特に気に留めなかった。
「じゃあ、同い年かな。いくつですか?」
「じゅ、十八だけど…」
じゃあ同じだ!と笑うの顔を直視した真弘。
そして、ね!と振り返って珠紀と拓磨に向けられた笑顔。
それは、その場を「ある沈黙」で支配させるに十分だった。
「ところで、話を戻すけど…」
そのなんとも言えない桃色の空気からいち早く離脱したのは拓磨だった。
…さん、あんた、何者なんだ?どうやってこの村に来た?」
その問いに、は俯いて記憶を探る。
「私は…西方の巫女、赤留姫を降ろす者」
そう、思い出せる、私は赤留姫の末裔、そして。
「…『赫の破片』を抱きし者。…『赤玉依姫』と、そう呼ばれていました」
それでも、その先が思い出せない。自分は『赤玉依姫』と呼ばれる者で、『赫の破片』を持つ者。
本当に、それだけだろうか。他に何か、なかったのか…?
その先を思い返そうとすると、頭の奥がずきりと痛む。
はそこまで言って顔を上げると、その場にいた三人が三人とも、顔を強張らせてこちらを見ていた。
「あの…?」
声をかけようとすると、我に返ったのか全員が一斉に口を開く。
「赤…玉依姫?」
「どういうことだ?!玉依の血筋なのか?!」
「赫の破片ってなんだ?まさか鬼切丸みたいなもんじゃねぇだろうな…」
「あ、ああの、落ち着いてください、説明します、思い出せる限りでなら…」
わたわたと宥めるの言葉に、最初に反応したのは真弘だった。
「思い出せる限りって、お前…」
「全部覚えてない訳じゃないんです、ところどころ、思い出そうとすると頭が痛くなって」
そう言って、は頭をさする。
「大丈夫、お話します。私のこと、赤玉依姫のことを」
心配そうに見守る三人に、は努めて明るく言ってきたので、そのまま話を続けてもらうことになった。



「『赫の破片抱きし者、生を受けしとき、荒ぶる御魂に其の身を奉らん』…私の家には、代々そんな言い伝えがありました」
は真弘、珠紀、拓磨を順に見つめ、その首元から紐を手繰り寄せた。その先には、見惚れるほど鮮やかな、紅い勾玉が付いていた。
「これが、『赫の破片』。私はこの世に生を受けた時、これを抱いていたそうです。『赫の破片』を抱いて生まれた者は、『赤玉依姫』として巫女姫になり、齢十八を迎える頃、その身を山の鬼神に捧げるのが古くからの習わしでした」
「待ってくれ、それじゃあお前は…」
真弘が口をはさむ。珠紀と拓磨も同じことを思ったのか、目を見開いたままを見ていた。
「…ええ。私は、言い方を変えれば体のいい生贄。けれどそれは何百年と続いてきたもの、『赤玉依姫』に生まれることは、私の村ではとても名誉あることでした」
の目に、寂しそうな顔をした珠紀が映る。彼女に向って微笑んでみせると、そのまま続けた。
「赤玉依姫とは、『赤留姫』。天日槍命(あまのぬぼこのみこと)に仕えた姫巫女。元々は太陽に仕える巫女ですが、その身は遠く西方にあり、昇る陽に祈りを捧げることは出来ませんでした。そのため、日の名を持つ天日槍命に仕えたとされています」
「それが、さんの血筋と何か、関係が?」
「赤留姫は、赤玉より生まれ出でたという伝承があります。それに準えて、一族の『赫の破片』継承者をそう呼ぶようになったと」
「玉依姫とは、直接的な関係はないんだな」
拓磨が呟くと、すぐさまがかぶりを振った。
「玉依姫とは、神話の姫神の名。でも、固有名詞だけを指すわけではなく、神を降ろせる者、つまり巫女のことを指すこともあるの」
「神だの巫女なんていうのは、通り名みたいなもんがあるからな」
「そう、赤留姫の通り名が、赤玉依姫」
真弘の言葉に同調して、が言う。
「でもそれは…つまり伝承通りの、赤玉依姫の赤石じゃないのなら、『赫の破片』っていうのは一体なんなんすか?」
確かに、と珠紀も頷く。
「それにオニガミ?っていうのも」
は薄く笑みを浮かべて口を開く。しかしその瞳は、何故だか憂いを含んで見えた。
「オニガミというのは、古来より私の村と冷戦を続けているヤマノカミのこと。人間を好いてはいなくて、その山の麓に村を作った私たちの先祖の代から、ずっとこう着状態にあったの。そして、『赫の破片』継承者が自分の元へ『嫁ぐ』ことで、その怒りを抑えてきた」
「嫁ぐ?」
珠紀が不思議そうに尋ねる。
「要は「生贄に差し出せ」ってこと。『赫の破片』は、強力な力を持っているから。でも何年もかけて、先代たちがその力の邪の部分は浄化してしまったから、力が欲しいカミには特に意味のないものなの」
「それなのにカミは、どうして赤玉依姫を欲しがるの?」
「…きっと、カミの匂いがするんじゃないかしら。『赫の破片』は、元々カミの一部だったものだから」
俯いて言うを、三人が見る。そして控え目に、その口から告げられた言葉は、真弘、珠紀、そして拓磨を、驚愕させるものだった。

「鬼切丸って、知ってるかしら」


「「「鬼切丸?!」」」
一拍置いて返ってきた、叫ぶような反応に、はびくっと体を揺らした。
「ええ、太古の昔に、鬼を封じたという刀のことよ。『赫の破片』はそのとき鬼の身体から流れた血が固まって出来たものと言われているわ」
「鬼の…血?!」
「そう。そのとき、三柱のカミと共に鬼を封じたのが玉依姫ノ命。赤玉依姫の名は、赤留姫だけではなくそこから名を頂いたとも伝えられてきたの」
「うそ…」
三人の顔からは驚きの表情が消えないままで、はどうしたものかと口籠もる。
「…続けてくれ」
それを真弘が促し、その真剣な表情を見るとは再び口を開いた。
「…赤玉依姫には、十八になってカミに『嫁ぐ』まで、『守人』と呼ばれる護衛が付くの。私の村は霊力を持った人間が特化して生まれてくるわけではないのだけど、『赫の破片』継承者が生まれたとき、同時に三人の『守人』が、『三魂』に選ばれる」
「みつだま?」
「『三魂』っていうのは、三柱のカミの力が割れたもの。それを持って生まれた者には、それぞれのカミが持つ力が分け与えられて、赤玉依姫がカミに『嫁ぐ』その日まで、その身を賭して災厄から護るというのが役目」
「その『三魂』ってのは、どんなもんなんだ?」
「この『赫の破片』よりも、もう少し小さな勾玉で、色は…」

「ニー」
が言いかけると、その傍らで小さな声が響いた。
?」
オサキ狐が、その小さな体を懸命にの膝に擦りつけていた。
「わっ、本当におーちゃんの色違いだ!可愛い!」
珠紀が机の下から覗き込むと、はトトト、とそちらへ駆けて行く。
「よしよし、可愛いねぇ。おーちゃん、お友達だよ?」
そう言われ、珠紀の影から青い紋章のオサキ狐が飛び出して、とじゃれ合う。
「ふふふ、、よかったね」
「ニー!」
嬉しそうな声が響くのを聞いてから、真弘が口を開く。
「それで、?その『三魂』ってのは…」
その声にはっとして、は真弘を見た。
「そうね、ごめんなさい。『三魂』っていうのは、それぞれ妖狐、ヤタガラス、大蛇の力を秘めていて、金色(こんじき)、翠(みどり)、琥珀(こはく)と呼ばれる小さな勾玉なの。色はその名前の通りで…」
このくらいの、と指で大きさを作ってみせるに、不意に拓磨が声をかけた。
「…さん」
「何?えーと、鬼崎くん」
「拓磨で、いいす。その『三魂』ってのは、『守人』が持ってるものなんすよね」
「そう、だよ?どうして?」
「それが『守人』の手を離れたときは、どうなるんすか」
その問いに、はぞくりとしたものを感じた。
なんだろう、ここから先は掘り返しちゃいけない。そんな予感が頭をよぎる。
「『三魂』はあくまで力を継承させるための器みたいなものだから…後は必要に応じて、勾玉に残る力で霊力を増幅させて補ったり…」
「じゃあ、『三魂』が、『守人』の手を離れるということは、ありますか?」
今度は珠紀が、こちらを見ずに呟く。背を向けているので見えないが、その腕には二匹のオサキ狐が抱かれているようだ。
珠紀の影からふわりふわりと揺れる四本の尻尾に、思わず温かい気持ちになる。
「カミに『嫁ぐ』とき、赤玉依姫に託されるの。現世に残っていては危険な力だから…『赫の破片』に取り込んで、転生を待つことになるわ」
話を聞いても拓磨はその硬い表情を崩さない。寧ろ、一層厳しいものに変わったように思える。
珠紀は背を向けたまま、強くオサキ狐たちを抱き締めていた。青いオサキ狐が、「ニーニー」と抗議の声を上げている。
はちらりと真弘を見るが、彼も小首を傾げている。
「どうしてそんなことを聞くのか、聞いてもいいかな?」
そう切り出したの手は、小さく震えていた。

そして、短い沈黙の後、口を開いたのは珠紀だった。
「…あるんです」
「え?」
振り返った珠紀の目には、うっすらと涙が浮かんでいるように見えた。
「ここに、あるんです、このこの、首に」
「あるって、何が?」
自分の手が、ガタガタと震え始めているのがわかる。
の体が、心が、その先は聞きたくないと、訴えていた。


「『三魂』が、さんの…オサキ狐の、首に」
拓磨がそう言った途端、の体を激しい苦痛が襲った。


『逃げろ』


意識が途切れる瞬間聞こえたのは、真弘でも拓磨のものでもない声だった。



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