行燈の柔らかな光の中、横たわるを、真弘はじっと見つめていた。
自分と似ている娘。生まれたそのときから、人のために死ぬことを課されてきた少女。
「赤玉依姫となることは、名誉なこと」
そう言った
でもそれは、本心からではないのだろうと真弘は思う。
物心ついたときにはもう、お前は世のために死ぬのだと言われてきた自分。
それはきっと、も同じで。
気付いたときには、村のために十八でカミに『嫁げ』と、言われ続けてきたのだろう。
それに、『守人』。
は十八だと言った真弘に、同い年だと言った。恐らく、カミに『嫁ぐ』日は近かったのだろう。
そのは今、西にある自分の村を離れ、少なくともそこよりは「東」にあるこの季封村にいる。
そして、を護る『守人』の力の源、『三魂』は、持ち主を離れと共にある。
予想するのは、容易いことだった。
多分彼らは、を逃がしたのだ。
村の古い規律から。村のための犠牲としか思えない、『赫の破片』の呪縛から。
のその白い頬に、そっと触れる。
決まりかけていた覚悟が、自分の中でゆらゆらと揺れめいていくのを感じながら、真弘は小さく呟いた。
「…お前は、逃げたのか?…逃がされたのか…?」
もっと話をしてみたい。その言葉を聞いてみたい。
似通った運命を突きつけられたこの少女の、胸の内を自分に明かして欲しいと。
そっとその頬を撫ぜた指先に、そんな想いを込めて。
真弘はただ、その傍らで、少女の目覚めを待った。
一方で、辛い思いをさせるだけなら、このまま眠り続けて欲しいと思いながら。



居間では、急に多くの事実を知らされ、ぐったりとうなだれる珠紀と、未だに難しい顔をしたままの拓磨がいた。
「拓磨…」
不安そうな珠紀の声に、拓磨は隣を見る。
「私たち、聞いちゃいけないことを聞いちゃったのかな。さん、すごく辛そうだった」
居間の食卓に頭を横たえたまま、遠慮がちに言う珠紀に、拓磨はふっと笑う。
「俺たちが聞かなくても、いずれ彼女には知れたことだ。そんな顔すんなよ」
そう言って拓磨は頭を軽く撫でてくれたが、珠紀の心の靄は完全には取り払えなかった。
「それに…あの人には悪いが、赤留姫の伝承の方が、俺は気になる」
「そうだ!赤玉依姫!あの勾玉も、千年前封印された鬼の血から出来たって…」
拓磨は小さく頷く。
「血筋では関係ないにしても、鬼切丸の封印に何かしら影響力があるかもしれない。すぐには無理だろうが、彼女が回復したらもう一度話を聞いてみよう」
「そうだね、もしかしたら、力になってくれるかもしれないし…それに…」
珠紀はにやっと笑う。それを怪訝そうな顔で見ていた拓磨は、ごく控えめに「なんだよ」と聞いた。
「もしかしたら、仲良くなれるかも!」
背後に大量のキラキラを飛ばしながら言ってのける珠紀を見て、拓磨は「あぁ、やっぱりお前はバカなんだな…」と呟いたが、それが珠紀の耳に入ることはなかった。











いや。
行きたくない、お願いここにいたいの。
私なら大丈夫、生きたいなんて願ってない。

『お前はこんなところで死んでいい人間じゃない』

どうして。私はそのために生まれてきたのに。
私が行っては村のみんなが死んでしまう。
カミに連れて行かれてしまう。
そうしたら、もう二度と会えないのよ。

お願い、ここに残るわ。お願い。

「…おねがい…」
ゆっくり目を開けると、そこは最初に目覚めた部屋だった。
やっぱり体が上手く動かない。これはきっと幻術と法力で与えられた呪詛のせい。
私が彼らの元へ戻ろうと、本気で術を解いた後に作用するよう巧妙に仕組まれた、合わせ技の罠。
力が作用しているということは、彼らはまだ生き長らえているのだろうか。
それとも、死して尚、私を逃がそうとする、彼らの力の名残りなのだろうか。
つぅ、と、涙が伝うのがわかる。
指先すら動けぬはそれを拭うことも出来ぬまま、ただ天井を見つめていた。
ゆっくり、体全体に行きわたるよう、力を解放する。
そうすることで、の指先、足先から徐々に感覚が戻っていく。
はそこで漸く気が付く。
誰かが、自分の手を握っていることに。
「起きたのか?」
その人物は、がゆっくり首を動かすとそれを見計らったかのように尋ねた。
「あ、とり…くん?」
動きの鈍い顎に気を集中させ、なんとか言葉を絞り出す。
枕元にあるのであろう行燈の明かりに応えるかのように、真弘の大きな瞳がゆらゆらと揺れる。
なんて寂しそうな眼をするのだろうと、は思った。
橙の火に揺られながらも尚鮮やかな、翡翠色の瞳。
「あなた…」
ぼんやりとした行燈の明かりのような予想、でも心のどこかでは確信している。
「あなたは、ヤタガラスの…?」
そんなの言葉に、真弘は驚く様子もなく、ただ一度頷いて見せた。
「そう…」
力なく答えると、真弘が口を開く。
「ここは、鬼切丸の眠る地。千年前、玉依姫と三柱のカミが鬼を倒し、その鬼をも切り裂く力を再び封印させた場所」
真弘はそこまで言うと、先よりずっと強くの手を握りしめた。
「…そして。お前の持つ、その勾玉を作り出した力が、身を鎮めているところだ」
一筋、また自分の目から涙が零れていくのを、は感じた。
知っている。すべてわかっている。何も悪くない、自分も、この人も。
けれど抑えきれず、声にもならない「もしも」が胸に渦巻いて、そこから逃げることが出来ない。
ただ自由の利かない体だけがここにあって。
行き場を失くした想いだけが、ここにある。
「辛かったな。…安っぽい言葉しか、言えねぇけどよ」
頭では、何も聞きたくないと思うのに。
「…けどよ、そんなことして欲しくなかったって思ってても、お前は生かされたんだ」
そんな言葉要らないと、思うのに。
「お前の守人たちは、お前に生きて欲しかったんだよ」
は握られるその手を振りほどくことも、耳を塞ぐこともしなかった。
「考える時間が欲しいなら、ここで考えればいい。ここの主人には俺から話してある」

そう言って今度は優しく握りなおすその真弘の手が、縋りつきたいくらいに温かかったから。

は小さく「うん」とだけ答えて、僅かな力で真弘の手を握り返した。



どうしてだか、真弘とは似た気配を感じる。
初めて会ったのに、安心できて、柔らかくて。
でもどこか、途方もなく寂しい、そんな気持ちになる。
ヤタガラスの血を引く者、カミの末裔。
自分の『守人』たちはその力を「借りている」だけ。本人たちの潜在能力ではない。
だから自分はヤタガラスの力を「秘める者」を知らない。
きっと、浮世離れした力を持っているのだろうと、はまどろみの中で思う。
やはり風の力を使うのだろうか。
翠の『三魂』を持つあの人は、風を自在に操ったから。
そして真弘の瞳は。
小さなあの勾玉と、同じ色をしていた。
ヤタガラス。空を翔けるカミの血を継ぐ男の子。
「……まひろ…」

眠りへと落ちていくは小さく名前を呼んだ。
小柄な体からは想像できないほど大きくて、温かい手の持ち主の名を。

遠くで「少し眠れ」と呟く声が聞こえて、ゆっくりと、はまどろみの中へ落ちていった。
左手に、優しい温もりを感じながら。



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